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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)9467号 判決

原告 高崎喜一

被告 国

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金百万円と、これに対する昭和三〇年一二月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、次のとおり述べた。

原告は月刊雑誌「人物新潮」を出版するため、昭和二八年九月四日特許庁に対し、商標「人物新潮」について別紙目録第一記載の商標登録出願(以下単に原告の出願と略称する。)をしたところ、同庁は同月一八日これを受付け、同年一一月三〇日同庁審査官小林太吉によつてされた出願公告の決定にもとずき、昭和二九年四月三日「昭29―5983」号をもつて商標公報に商標出願公告をした。このように商標「人物新潮」については、既に原告から登録出願がされていたにもかかわらず、同庁は昭和二八年一〇月八日鈴木喜代松からされた同一商品に使用すべき同一商標に対する同目録第二記載の商標登録出願(以下単に鈴木の出願と略称する。)を受付け、右小林審査官が出願公告の決定をし、かつこれにもとずき昭和二九年五月一三日同庁が「昭29―8977」号をもつて商標公報に出願公告をした。商標法第四条によれば、同一の商品に使用すべき同一の商標について既に登録出願(先願)がされている以上、特許庁は後からされた出願(後願)を拒絶すべきものとされている。したがつて本件商標についても、既に先願として原告の出願がされていたのであるから、後願としてされた鈴木の出願に対しては同庁審査官は出願公告の決定をすべきではなく、したがつてまた同庁もその公告をしてはならない筋合のものであつた。それにもかかわらず右小林審査官が鈴木の出願に対し出願公告の決定をしたことは違法であつて、しかもこれは、右商標につき既に先願として出願公告決定を受けている原告の利益を侵害するであろうことを知りながらあえてしたものであり、仮にそうでなくても不注意によつてそのことに気がつかずにしたものである。

原告は、原告の出願受付後である昭和二八年一一月から前記商標を使用し雑誌「人物新潮」を毎月刊行して今日に及んでいるが、前記鈴木もまた同人の出願受付後である昭和二九年二月頃から右と同一の商標を使用して「人物新潮」と題する雑誌を発行していたので、前記小林審査官により後願である鈴木の出願に対し出願公告決定がされ、かつこれにもとずき昭和二九年五月特許庁の出願公告がされるにおよび、原告発行の雑誌「人物新潮」に対する世間の信用は全く地に墜ち、このため原告は後に述べるような財産上、精神上の損害を蒙るに至つた。鈴木の発行する雑誌「人物新潮」はその後昭和三一年四月、これを「新時潮」と改題するまでの間毎月刊行されていたが、もし右審査官により鈴木の出願が拒絶されて出願公告の決定がされず、したがつてまたその公告がされなかつたならば、鈴木も原告と同一商標を使用して雑誌の刊行を続けることはなかつたであろうし、原告の雑誌に対する信用も害されることはなかつたであろうから、原告の蒙つた損害は全く右審査官のした違法の行為によるものと言うべきである。

そこで、原告の蒙つた損害は次のとおりである。

一、鈴木喜代松が原告と同一商標を用いた雑誌を刊行しなかつたならば、原告に得られたはずの利益の喪失として、

(イ)  広告料の減収。当時原告の発行していた「人物新潮」の広告料は、裏表紙半截一万五千円ないし二万円、表紙裏、目次裏等は半截一万円前後、記事中のもの三千円ないし五千円で、毎月平均十万円位の収入があつたけれども、更にその三割方増収が得られたはずである。したがつて一月につき金三万円の利益を失つた。

(ロ)  賛助金の減収。原告発行の「人物新潮」は、各界における人物を写真または記事をもつて紹介し、それに対して賛助金の支払を受けて収入としている。当時写真と記事の写真版一頁約一万円、記事一頁三千円ないし五千円、記事二頁以上は一万円以上となつており、毎月平均二十万円位の収入があつたけれども、更にその二割五分方増収が得られたはずである。したがつて一月につき金五万円の利益を失つた。

(ハ)  購読料の減収。原告発行の「人物新潮」は、当時毎号三千部印刷してそのうち約二千部が定価金百円で売りさばかれ、その売上高は毎月平均二十万円であつたけれども、更にその二割方増収が得られたはずである。したがつて一月につき金四万円の利益を失つた。

二、同一商標である「人物新潮」を使用する雑誌が二つ出現したため、事務の一つ一つについて電話等で釈明をしなければならず、事務員も嫌気がさして仕事に手がつかぬ有様なので、原告はこれら事務員の慰留につとめたり、原告こそ「人物新潮」の商標を使用し得る者だという広告や宣伝を行つたりしたため、一月につき金二万円の無駄な経費の支出を余儀なくされた。

三、同一商標である「人物新潮」を使用する雑誌が二つ出現したため、原告は世間より背徳的な人物のように見られて信用を一時に失墜し、金策もつかなくなり、従業員の慰撫にも心を使う等、甚しい精神上の苦痛を蒙つた。原告は旧制専門学校を卒業しており、武蔵野市吉祥寺字本田南二三二六番の二六に宅地百坪五合三勺、住家建坪三七坪一合を所有し、月収十万円以上を得られる地位にあつたから、これ等の点を考えて慰藉料の額は一月につき金五万円を相当とする。

右のように原告は、一月当り合計金十九万円の損害を蒙つているのであるが、これは、被告国の公権力の行使に当る公務員たる前記小林審査官が、職務上故意または過失にもとずいてした違法の行為により生じたものと言わなければならない。したがつて被告は、原告に右損害の生ずるに至つた後である昭和二九年六月一日から、少くとも、商標「人物新潮」を使用する雑誌が二つ存在していた当時である昭和三〇年一一月末日までの一八カ月間分の損害合計額金三百四十二万円の損害賠償をなすべき義務がある。よつて原告は、そのうち金百万円と、これに対する本訴状送達の翌日である昭和三〇年一二月二五日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

以上のとおり述べ、立証として甲第一、二号証、同第三、四号証の各一、二、同第五、六号証、同第七号証の一、二を提出した。

被告指定代理人は主文と同旨の判決を求め、次のとおり答弁した。

商標「人物新潮」について、原告主張の各日に、特許庁が原告の出願を受付け、同庁小林審査官によりされた出願公告の決定にもとずき商標公報に出願公告をしたこと、同じく同庁が鈴木の出願を受付け、右審査官が出願公告の決定をし、これにもとずき同庁が商標公報に出願公告をしたこと、右商標登録出願に対する出願公告の決定ならびにその公告に関する事務が被告国の公権力の行使に当るものであること、および原告が「人物新潮」と題する雑誌を昭和二八年一一月から毎月刊行して今日に及んでいることは、いずれもこれを認めるが、鈴木喜代松が「人物新潮」と題する雑誌を昭和二九年二月頃から毎月刊行し、昭和三一年四月にこれを「新時潮」と改題するまで続けていたかどうかは知らない。その余の原告主張事実は全部否認する。

特許庁小林審査官が鈴木の出願に対し、出願公告の決定をしたことは、なんら違法ではない。即ち商標法第四条第一項本文は、商標登録の出願が競合する場合に、最先の出願者に限り登録する旨を規定しているが、これは文字どおり登録についてのみいわゆる先願主義を採用しているのであつて、出願公告の決定ならびにその公告についてまで、先願に限つてこれをする趣旨を規定したものではない。したがつて、先願が存在するというだけで後願を拒絶することはできず、審査官としては、他に出願拒絶の理由を発見し得ないときはむしろ後願についても出願公告の決定をすべきものである。たとい後願につき出願公告の決定をしたとしても審査官がその後になつて新たに拒絶理由(たとえば、先願が登録されたため、後願が同法第二条第一項第九号に該当するに至つたとき。)を発見すれば、出願公告に対する異議申立の有無にかかわらずいつでも登録の拒絶査定をするのであるから、先願が存在するかどうかは、この登録許否の査定をする段階において考慮すればよいことなのである。また実質的に考えても、後願について出願公告の決定をしておけば、将来もし先願の登録が拒絶査定をされたり、出願の放棄や取下により、或は出願が無効となつて先願が消滅するようなことがあつた場合には、次順位にある後願が当然先願の地位に引上げられることになるので、きわめて合理的であるのにひきかえ、もし後願を拒絶しなければならないものだとすると、右のような場合に、後願者は不必要に不利益を蒙ることになつてしまうのである。このように先願が存在するというだけのことでは後願を拒絶する理由にはならないのであるから、たとい先願が存在していても、後願につき出願公告決定をしこれを公告すること自体は何ら違法の措置ではないと言わなければならない。

なお、原告のした商標登録出願につき、出願公告の決定があり、これが公告されたからといつて、そのこと自体からは原告になんらの権利を生ずるものではないし、しかも原告は本件出願にかかる商標について既に登録査定を受けているばかりでなく、鈴木の出願はその後拒絶査定されているのであるから、原告には全く損害が生じていない。

以上のとおり述べ、甲号各証がいずれも真正にできたものであることを認めた。

理由

商標「人物新潮」について、原告主張の各日に、特許庁が原告からされた別紙目録第一記載の商標登録出願を受付け、同庁小林審査官によりされた出願公告の決定にもとずき商標公報に出願公告をしたこと、同じく同庁が鈴木喜代松からされた同目録第二記載の商標登録出願を受付け、右審査官が出願公告の決定をし、これにもとずき同庁が商標公報に出願公告をしたことは、いずれも当事者間に争いのないところである。

右の事実によると、鈴木の出願に対する同庁小林審査官のした出願公告の決定は、同一商品に使用すべき同一商標に対する原告の出願が先願として同庁に係属していたのにもかかわらず行われたものであることが明らかであるが、原告はこの点が商標法第四条の規定に違反する違法の行為であると主張している。しかしながら、同条第一項本文についての当裁判所の見解は、被告の主張するその見解どおりであつて、先願の存在することは、後願につき登録査定をするについての障害事由となるに止まり、出願公告の決定やその公告についてまでも最先の出願者に限らなければならないものと解することはできないから、小林審査官が後願である鈴木の出願に対し出願公告の決定をし、これにもとずき同庁がその公告をしたことは違法と言うことはできない。

したがつて小林審査官のした行為が違法であることを前提とする原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当として棄却すべきものである。よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義広 吉田武夫 石田譲一)

目録

第一、

(一) 商標。「人物新潮」。

(二) 指定商品の類別および商品。第六六類、人物に関する雑誌、新聞。

(三) 願書番号。昭和二八年商標登録願第二四四四一号。

第二、

(一) 商標。「人物新潮」。

(二) 指定商品の類別および商品。第六六類、人物に関する雑誌、新聞。

(三) 願書番号。昭和二八年商標登録願第二六三二八号。

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